2009年5月20日水曜日

見えないもの~7〜

今回は「意識」ということについて考察してみようと思う。

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みえないもの〜その6〜

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あくまで、意識であって感情であったり思考などとは分けて考えてみる。
もちろん、「心」という表現も今回は適切ではない。


さて、では意識とはどこからどこまでを指すものなのか。まずはその点から考えていかないと、始まらないかも。

もちろん人間には明確な意識といわれるものが存在する。
ここで言う、意識とはもちろん自分が自覚できるもの。つまり顕在化している意識。

そして、よく一般的に言われている「潜在意識」と呼ばれるものはなにを指すのかということと、それが存在するのかということを考えていきたい。

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そもそも、人間が意識をしているときは、脳細胞が活発にそれに必要な程度の情報伝達を行っているときである。

で、ここで現在わかっているレベルで考えて、そのときの脳細胞の使用率は、だいたい3%程度といわれている。

てことは、その解析が正確であると仮定するならば、
「人間は脳細胞を3%使用しているとき意識をしている」
と、ちょっと乱暴だが考えることができるかな?

では、残りの97%を使うときはどんな状況になるんだろうと考えてみたくなる。

というか、そもそも使っているけどそれが解析できないというふうに仮定すれば、都合がいいかもw

でもって、使っているのが解析できないということは、その処理の様子も解析できていないってことになるんじゃないかな。

ということで、脳のこの97%にアクセスしている状態、かつそれを解析できない、本人も自覚できないという処理中があるとしたら、それを潜在意識と呼んでもいいんじゃないかななんて。


じゃぁ、そのときなにをしてんの?なんてことは今は問わない。
だって、わかんないもん。
自分で意識できないんだからw

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で、問題はそのときのアクセス方法。

現在の科学で解析できていないってことは、単純な電気信号などではないことも大いに考えられる。

顕在化している意識にアクセスする手段とは違った方法をとっているかもしれない。

で、ここでまた仮説。
すでに、仮説の仮説で、科学的な検証としてはNGだけど、そもそも論からすると、そんなのどうでもいいかなと。

「生命活動の可否に関係ないレベルでのアクセス方法だとしたら?」

なんて考えてみる。

要は、「ある一定量の情報の集合体が存在すれば、生きているとか死んでいるとかという生命論的な基準に関係なく、顕在化しない、つまり潜在的な意識がアクセスしている。」

と考えてみようかななんて。


これってオモシロくない?

情報が一定量を越えるとそこに意識が生まれるって考えることができるんだから。

そうなると、けっこういろんなところに意識がありそうだよね。


とりあえず、今回はこの辺でいいや。
続きはその8で。

てか、次がいつかははっきり言って不定期ナリ。
なにせ、カメラブログだからw

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