てことで、結論。
結局簡単なことなんだけど、
「インフルエンザやその他の疫病などは、偶然の産物として人間の前に立ちはだかっているのではなく、それぞれの意識の集合体が強い意志となって具現化した現象ととらえてみたい。」
ということ。
さて、人間は果たしてどれだけの数の“不必要な(自分たちが生きていくために必要最低以上)”生き物の命を奪ってきているのだろうか。
もちろん必要量は生物同士お互いに自らを提供しあうという価値観は遺伝情報として持っていることは不思議ではない。
しかし、その数が必要量を遙かに越えたとしたら、それを許容できることはどこまでできるだろうか。
そして、そこに残された情報、つまり意識は一定量を越えて集合したときにどういった意思を持つだろうか。
はい。遠回しな表現ばかりだけど、つまりは
納得できずに命を奪われた動物たちの意識の集合体が、バランスをとるべく具現化したものが今回のインフルエンザをはじめとした人類減少ツールってこと。
結論だけを見るととっても飛躍しているかもしれないけど、あながちあり得ないことでもなさそうなところがオモシロいでしょ?
何しろ見えない世界ですからw
2009年6月3日水曜日
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2 件のコメント:
納得できずに…人類減少ツール。
同感です。
takosuke
takosukeさん。こんばんわ。
あ、同感していただけました?
ちょっと嬉しいですw
ともに生きている、というか生かされているという感覚が研ぎすまされていくと、もっともっといい写真が撮れるんじゃないかな?なんて思ったりしてw
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